スポンサーリンク

この広告は一定期間(1ヶ月以上)更新のないブログに表示されます。
ブログ記事の情報が古い場合がありますのでご注意下さい。
(ブログオーナーが新しい記事を投稿すると非表示になります。)
  

Posted by at

2012年03月05日

Fw:又々小田原グッズで報徳庵は

本日報徳庵の最終兵器報徳囲炉裏が、小田原の岩越ファミリーのお力で完成しました!有難うございます!これで私達大望のオープンに向け益々近つきました!次回お逢いする時には、この報徳囲炉裏で、美味い刺し身をご馳走したいです!
皆様有難うございます!
相馬のおんちゃまより♪
  

Posted by 飯豊利助 at 02:08Comments(0)

2012年02月14日

相馬市のNPOが加工販売場を作りました

ご支援者の皆様、御無沙汰しております!本日の仮設店舗=復興支援センターの写真を送ります!本日も木粉まみれ

昨年のご支援ご協力有り難うございました。
早速ですが今回の写真は、仮設店舗を朝市の常設店舗とし、土日以外でも少しでも支援が出来るコミュニケーションの施設として今月中には稼働する予定です。又鮮魚、惣菜加工が出来る加工場も同時に創っております!

加工場は放射線で原料が水揚げされない相馬に、全国から名産を集め、相馬の新しい名産を造り上げ全国に販売する事、仮設、相馬市内の皆様に美味しい刺身、惣菜を提供する事が目的です。但現在、助成金を申請してますが役所対応が遅いのと予算使用目的に制限されているので、自由に使える資金がなく厳しい状況となっております!何かご協力頂ければ助かります!

現在相馬は、ある程度落ち着いておりますが、原発問題で産業は復興しておりません!特に海の現状は厳しく、漁船の操業は未定です(何年後?)

なので漁業関係者が多い仮設の人達は徐々に不安を抱き、あまり前向きでは有りません!なので朝市クラブで加工場、復興支援センター、コミュニケーションセンターを設け前向きに行こうと思っておりますので今後も変わらぬご支援ご協力のほど宜しくお願い致します!PS=朝市は39週迎えました!

朝市高橋
  

Posted by 飯豊利助 at 09:39Comments(0)飯豊の現況

2011年12月02日

飯豊小からお礼状をいただきました

今日、家に帰ったら、相馬市の飯豊小学校から封書が届いていました。


早速中をあけてみましたら、子供たちが私たちが送った楽器で演奏する写真が。。。
本当にうれしかったです。この気持ちを皆さんと分かち合いたいと思います。

今回の事業は、本当に私たちだけの力ではなし得ませんでした。
たくさんの皆さんの御協力があり、実行委員会のメンバーの支援があり、やっと
なりたった事業です。

この場をおかりしまして、心より御礼申し上げます。


「みずほ発表会」で5年生が”ルパン三世”を演奏したそうです。



校長先生からご丁寧なお礼状をいただきました。

「日一日と寒さが増してくるこの頃です。
先日は、お忙しい中、相馬の地に足をお運びいただき
ありがとうございました。あわせて、子どもたちに楽器のプレゼントまで
していただいたこと、とても感謝いたしております。
長瀬さんの言われるとおり、これからは心を和ませ前向きに
進むために効果をなすものとして音楽が存在してくれるのだと
思っております。この楽器を使うたびに皆様方のことを、皆様
方の思いを汲んでくれると思っています。
 早速、去る19日(土)に「みずほ発表会」という学習発表会が
ありました。その際、5年生がルパン3世のテーマを演奏した
際、使わせていただき、大きな拍手をいただきました。
本当にありがたく思います。

本校でも本当に多くの方々からご支援をいただきました。
おかげさまでその支援を力にして子どもたちは前向きに学校
生活を送らせていただいております。
 今後、これらの感謝の気持ちを皆様方に届けていけたらと
考えております。皆様方とつながっていることが励みであります。

 どうぞ、今後とも時折子どもたちにメッセージを送っていただ
ければ幸いであります。よろしくお願い申し上げます。

 ささやかではありますが、子どもたちのお手紙と写真を同封
させていただきました。

 広報そうまは、放射線問題で屋外活動を制限され、自粛をする
学校のある中、本校で4時間限定で実施した運動会を取上げたもの
です。はじける笑顔はこの上もない薬の効果をもたらしてくれまし
た。その写真です。

 相馬も津波に放射線とニ重三重の苦しみがありますが、
前を向き胸をはって歩み出すつもりでいます。

             飯豊小学校
                  校長 高橋 誠」


子供たちのお手紙もいただきました。


飛騨高山まちなみコンサート実行委員会のみなさんへ

11/12(土)は演奏を聞かせていただきありがとうございました。
2人のいきが合っていてとてもきれいでした。また今度会ったときは
演奏を聞かせて下さい!これからもきれいな演奏でみんなが笑顔に
なるようにがんばって下さい!本当にありがとうございました。

「上手にひけるようにがんばります!!」
「大事に使わせていただきます!!」
「新しい楽器 ありがとうございます!!」
飯豊小学校児童一同より。




飛騨高山まちなみコンサート実行委員会のみなさんへ

この間はたくさんのステキな楽器をありがとうございました。
これから大切に使い、みんなが楽しくなるような演奏をして
いきたいと思います。そして、地域の方々や学校の友達を笑顔
にしていきたいです。この、いただいた楽器を演奏することで
みんなと絆が深まるといいなと思いました。

「ピアノ大好きです。」
「たくさん演奏します!」
「こ笛(てき)で使いたいです!」
「キレイな音です。」

飯豊小学校児童一同より



先日、訪問した時の写真が添えられていました。



今回のことは一つのご縁として、今後、また相馬に対して支援を行なっていきたいと
思います。宮城県・岩手県も被害は甚大ですが、この福島県の海岸端、特に相馬市と
南相馬市は、津波の被害に加えて放射能の被害があります。

今後の復興のためには、さらなる皆さんの支援がないと大変だろうということを現地に
行ってみて実感しました。
音楽を通じて、地元の皆さんに本当の意味での「ゆとり」が生まれ、そのゆとりが人々を
元気にして行って下さるものと思います。

また機会があれば、現地を訪れたいと思います。
相馬市の皆様の一日も早い復興を祈りながら、小さな力を合わせていければと思います。



飛騨高山まちなみコンサート実行委員会
実行委員長 長瀬公昭

  

Posted by 飯豊利助 at 00:06Comments(2)復興に向けて

2011年12月02日

飯豊小からお礼状をいただきました

今日、家に帰ったら、相馬市の飯豊小学校から封書が届いていました。


早速中をあけてみましたら、子供たちが私たちが送った楽器で演奏する写真が。。。
本当にうれしかったです。この気持ちを皆さんと分かち合いたいと思います。

今回の事業は、本当に私たちだけの力ではなし得ませんでした。
たくさんの皆さんの御協力があり、実行委員会のメンバーの支援があり、やっと
なりたった事業です。

この場をおかりしまして、心より御礼申し上げます。


「みずほ発表会」で5年生が”ルパン三世”を演奏したそうです。



校長先生からご丁寧なお礼状をいただきました。

「日一日と寒さが増してくるこの頃です。
先日は、お忙しい中、相馬の地に足をお運びいただき
ありがとうございました。あわせて、子どもたちに楽器のプレゼントまで
していただいたこと、とても感謝いたしております。
長瀬さんの言われるとおり、これからは心を和ませ前向きに
進むために効果をなすものとして音楽が存在してくれるのだと
思っております。この楽器を使うたびに皆様方のことを、皆様
方の思いを汲んでくれると思っています。
 早速、去る19日(土)に「みずほ発表会」という学習発表会が
ありました。その際、5年生がルパン3世のテーマを演奏した
際、使わせていただき、大きな拍手をいただきました。
本当にありがたく思います。

本校でも本当に多くの方々からご支援をいただきました。
おかげさまでその支援を力にして子どもたちは前向きに学校
生活を送らせていただいております。
 今後、これらの感謝の気持ちを皆様方に届けていけたらと
考えております。皆様方とつながっていることが励みであります。

 どうぞ、今後とも時折子どもたちにメッセージを送っていただ
ければ幸いであります。よろしくお願い申し上げます。

 ささやかではありますが、子どもたちのお手紙と写真を同封
させていただきました。

 広報そうまは、放射線問題で屋外活動を制限され、自粛をする
学校のある中、本校で4時間限定で実施した運動会を取上げたもの
です。はじける笑顔はこの上もない薬の効果をもたらしてくれまし
た。その写真です。

 相馬も津波に放射線とニ重三重の苦しみがありますが、
前を向き胸をはって歩み出すつもりでいます。

             飯豊小学校
                  校長 高橋 誠」


子供たちのお手紙もいただきました。


飛騨高山まちなみコンサート実行委員会のみなさんへ

11/12(土)は演奏を聞かせていただきありがとうございました。
2人のいきが合っていてとてもきれいでした。また今度会ったときは
演奏を聞かせて下さい!これからもきれいな演奏でみんなが笑顔に
なるようにがんばって下さい!本当にありがとうございました。

「上手にひけるようにがんばります!!」
「大事に使わせていただきます!!」
「新しい楽器 ありがとうございます!!」
飯豊小学校児童一同より。




飛騨高山まちなみコンサート実行委員会のみなさんへ

この間はたくさんのステキな楽器をありがとうございました。
これから大切に使い、みんなが楽しくなるような演奏をして
いきたいと思います。そして、地域の方々や学校の友達を笑顔
にしていきたいです。この、いただいた楽器を演奏することで
みんなと絆が深まるといいなと思いました。

「ピアノ大好きです。」
「たくさん演奏します!」
「こ笛(てき)で使いたいです!」
「キレイな音です。」

飯豊小学校児童一同より



先日、訪問した時の写真が添えられていました。



今回のことは一つのご縁として、今後、また相馬に対して支援を行なっていきたいと
思います。宮城県・岩手県も被害は甚大ですが、この福島県の海岸端、特に相馬市と
南相馬市は、津波の被害に加えて放射能の被害があります。

今後の復興のためには、さらなる皆さんの支援がないと大変だろうということを現地に
行ってみて実感しました。
音楽を通じて、地元の皆さんに本当の意味での「ゆとり」が生まれ、そのゆとりが人々を
元気にして行って下さるものと思います。

また機会があれば、現地を訪れたいと思います。
相馬市の皆様の一日も早い復興を祈りながら、小さな力を合わせていければと思います。



飛騨高山まちなみコンサート実行委員会
実行委員長 長瀬公昭

  

Posted by 飯豊利助 at 00:06Comments(0)復興に向けて

2011年11月21日

高山市民時報に掲載されました

先日の相馬市訪問が、高山市民時報に掲載されました。



せんだいも  

Posted by 飯豊利助 at 20:04Comments(0)支援活動

2011年11月21日

ブータン国王陛下 慰問

─────────────────────────────────[PR]─


◆━━━ 相馬市長立谷秀清メールマガジン 2011/11/21号 No.261 ━━━◆


----------------------------------------------------------------------

みなさんこんにちは、相馬市長の立谷秀清です。

今回は、私の書き下ろしエッセー「ブータン国王陛下」をお届けします。

----------------------------------------------------------------------

●ブータン国王陛下 

 11月18日。ジグミ・ケサル・ナムギャル・ワンチュク第5代ブータン国王陛

下ご夫妻が、ご結婚後初の日本訪問の公式行事の合間をぬって、被災地激励の

ために相馬市をご訪問されました。前日からメディアでも大きく取り上げてら

れていたため、相馬市民のみならず各地から、ひと目でいいからお会いしたい

との電話を数多くいただきました。相馬市滞在のご予定の90分のうち前半の40

分が桜丘小学校での子どもたちとの交流、後半の40分が私の担当で被災地を視

察されたいとのご希望でした。お若くておきれいな王妃を伴ってのご旅行は、

日本にも、相馬市にも大きな希望を与えましたが、特に、桜丘小学校の生徒た

ちには貴重な経験になったと、有難く存じております。こころを込めて練習し

た小学生たちの歌声を聴いていただいた上に、国王が信条とされている「あな

たの心の中にいる竜を鍛え育てよ」という力強い教えを受けた子どもたちの今

後が楽しみです。


 ブータン国の歴史は決して平穏なものではありませんでした。19世紀までは

国内の宗教対立を伴う部族間の抗争が続き、また隣の大国チベットからの圧力

にさらされ、小国ゆえの苦労が絶えなかったようです。1907年、それまで地方

の有力豪族だったワンチュク家が支配権を確立し、世襲王朝制をとってからの

一世紀は統一王国としての統治がなされてきましたが、人口70万人の小国が激

変の20世紀のアジアを生き抜くには、先代までの国王のご苦労は大変ものだっ

たろうと推察されます。現に、かつてブータン国に幾度と攻撃を仕掛けてきた

チベットは、国家としては既に存在していません。

 5年前、国王に即位されたジグミ・ケサル・ナムギャル・ワンチュク陛下は

まだ31歳。しかしこの間、立憲君主制への移行という大仕事をすでに成し遂げ

られています。いたずらに西洋化を進めず、民族衣装を纏いながら、伝統と信

仰に生きようとする国家理念は、現代文明に振りまわされてきた我われ日本人

にとっては新鮮でもあります。


 さて小学校から被災地に向かった国王陛下ご夫妻を、私は松川浦漁港の被災

現場でお迎えしました。相馬市長と紹介していただくと、陛下は手を差し伸べ

られ、私は市民を代表して訪問の御礼を申し上げながら握手に応じましたが、

失礼を畏れずに申し上げれば、陛下は実にさわやかな好青年でした。お妃とは

仲の良いご兄妹といった感じでした。

 はじめ、松川浦漁港の高台から撮影した震災記録動画をiPADで見ていただき

ました。組合の市場がコンクリートの柱だけを残して破壊される映像が、いま

立っているこの場所で現実に起きたこと、そしてガレキを撤去して一部仮復旧

しながらも、獲れる魚に少量ながら放射能が検出されることから、残念ながら

漁に出られないこと、あちらで陛下に向かって手を振っている漁師の奥さんた

ちは、それでも希望を捨てないで仮設住宅で頑張っていることを説明申し上げ、

「陛下、畏れ多いお願いですが、彼女らに勇気を与えていただけないでしょう

か?」

 すると道路の向こうにお進みになり、およそ1メートルの距離まで近づいて

陛下がスピーチされました。「私たちは今まで日本から大きな援助と勇気をい

ただいてきました。この度の震災で被災された皆さんの礼儀正しく統率された

姿に感銘し、尊敬の気持ちを持っております。ブータン国と日本は強い友情で

結ばれています。私は助け合い励まし合うつもりでここにきました。皆さん希

望を持ってください」


 1964年に海外青年協力隊としてブータンにわたり、農業の改善に尽くして彼

の地に没した西岡京治さんのことをお話になっておられると思いました。Goog

le earth で見るブータンの国土は、山の斜面に幾層にも重なる棚田が美しい。

きっと人々の気持ちも美しい国なのでしょう。市民に対して、陛下にこのよう

に言っていただけるご功績を残された西岡先生にも敬意を表したいと思います。


 次に尾浜海水浴場の駐車場に移動しました。今ではガレキもすっかり片付い

てコンクリートの基礎だけが無機質に続く尾浜地区の被災状況を、A4判のパネ

ル7枚を使って説明させていただきました。印象的だったのはパネルを覗き込

むお妃の悲しげな表情です。国王陛下から常に一歩下がって、ともすれば私よ

り後ろに位置取りをされる控えめな方でしたが、あの方は豊かな方だと思いま

す。この平地になっている住居跡には2000人を超える人々が平穏に暮らしてい

たこと、そのうちこの地で146人が命を失ったこと、相馬市全体で言えば6000

人を超す人々が家を流されましたが、9割の方々は避難をして尊い命を失わず

に済んだこと、避難誘導に当たった消防団員の勇気によって多くの命が助かっ

たものの、10人の団員が職務に殉じたことをご説明したとき、陛下は大きくた

め息をつかれました。「ですから我われ相馬市民は、相馬市が続く限り彼らの

ことを忘れてはならないのです。5月には、私たちが立っているこの場所で、

日本国天皇皇后陛下に被災者のための祈りを奉げていただきました。まことに

恐縮ですがブータン国両陛下にも黙とうを賜れないでしょうか?」


 陛下がお着きになる前に3人の僧侶の方が、すでにお祈りを済ませた小さな

祭壇とカーペットが敷いてありましたが、頷いた陛下はカーペットにお進みに

なり、私に隣に来るように手招きをされました。そうすると私はお二人の間に

割って入るようになるので、さすがに遠慮申し上げたいと思いましたが、お妃

も当然のように離れて私の場所を空けるので、已む無く私が中央の位置取りに

なる形での黙とうが始まりました。

 僧侶の方がお経を唱えながらの数分間でした。私はいつものように、亡くな

った親戚や知人の顔を思い出しながら合掌しましたが、もう一つはお若い国王

ご夫妻のこれからの人生に、幸多からんことを祈らずにはいられませんでした。


 やがてお別れの時間となったので、私は絶版となった「そうま駒焼」の一対

の湯飲みと、相馬市災害対策本部発行の「中間報告書」を記念に差し上げ、

「お幸せな人生を」とお二人に申し上げてお送りしました。

 私はお二人のひた向きさに、大きな勇気をいただいたような気持ちでした。

子どもたちも市民も同じような感慨をもってくれたのではないかと思っていま

す。将来にむけての相馬市の復興は私たちの仕事ですが、ブータン国の今後に

おいて、陛下にはどうか勇気をもって立憲君主国家のリーダーとして困難を乗

り越えていただきたいと願って已みません。


----------------------------------------------------------------------

■発行:福島県相馬市 企画政策部秘書課
 TEL 0244-37-2115

●このメルマガに関するお問い合わせやご意見メールは、
 info@city.soma.fukushima.jp  

Posted by 飯豊利助 at 19:31Comments(0)復興に向けて

2011年11月15日

『君住む街へ~東北へ~その6「応変」』

「ガタパンゴ」のじゅんちゃんが、今回の東北行についてレポートしてくれています。

ココをクリック→→『君住む街へ~東北へ~その6「応変」』



ゆりあげ朝市は、たくさんのお店が出店して賑っています。


魚から、干物から、食料品の販売が盛んに行われてました。


せんだいも


  

Posted by 飯豊利助 at 23:36Comments(0)支援活動

2011年11月15日

君住む街へ~東北へ~その5「友情」

「ガタパンゴ」のじゅんちゃんが、今回の東北行をレポートしてくれています。

ココをクリック→→君住む街へ~東北へ~その5「友情」


相馬の居酒屋でお魚が。
これは、相馬の港は機能していなく、また地元の人でも近海産の魚は食べないそうです。
放射能の影響がこんなところにも出ているんですね。

仙台の塩釜から仕入れてきているそうです。塩釜漁港は、遠洋漁業なので、新鮮な魚が
手に入るそうです。地元の人も苦労されていました。



帰って、オーミちゃん、布団に入った途端に寝てしまいました。
よっぽど疲れてたんでしょうね。責任感強くて、起きててくれたみたいですから。

あれ、目があいてる・・・・・


せんだいも

  

Posted by 飯豊利助 at 23:35Comments(0)支援活動

2011年11月15日

君住む街へ~東北へ~その4「祈り」

「ガタパンゴ」のじゅんちゃんが、今回の東北行をレポートしてくれています。

ココをクリック→→君住む街へ~東北へ~その4「祈り」


相馬市のはらがま地区。かつてここには漁港を中心としたまちがありました。
一面、がれきが取り除かれ、何もない状態になっています。



磯辺地区に行くと、堤防がこのように無残な姿になっていました。
亡くなった方々もたくさんおられます。 もう、祈るしかありませんでした。


せんだいも
  

Posted by 飯豊利助 at 23:34Comments(0)支援活動

2011年11月15日

君住む街へ~東北へ~その3「活気」

「ガタパンゴ」のじゅんちゃんが今回の東北行をレポートしてくれています。

ココをクリック→→君住む街へ~東北へ~その3「活気」




せんだいも

  

Posted by 飯豊利助 at 23:34Comments(0)支援活動

2011年11月15日

君住む街へ~東北へ~その2「笑顔」

「ガタパンゴ」のじゅんちゃんが、今回の東北行をレポートしてくれています。

ココをクリック→→君住む街へ~東北へ~その2「笑顔」



せんだいも


  

Posted by 飯豊利助 at 23:33Comments(0)支援活動

2011年11月15日

君住む街へ~東北へ~その1「出発」

今回の東北行を、「ガタパンゴ」のじゅんちゃんがレポートしてくれています。


ココをクリック→→君住む街へ~東北へ~その1「出発」



せんだいも

  

Posted by 飯豊利助 at 23:32Comments(0)支援活動

2011年11月13日

今日は朝から名取市に行ってまいりました

昨日の相馬市 飯豊小学校への楽器寄贈に続けて、本日は名取市のゆりあげ小学校に
楽器を寄贈してまいりました。

朝、7時半にゆりあげ朝市会場に到着し、プロのステージの前にご挨拶をさせていただき
ました。


今回、名取市にきた経緯。そして、私たちがおこなったまちこんでの募金活動についてなど
ご説明いたしました。


高山市長国島芳明氏より、名取市長佐々木一十郎さんにあてての親書です。

こちらも会場にて読みあげさせていただきました。



すでにこの後に開かれるプロの方のステージがセットされていましたので、遠慮してステージの
横に急遽演奏スペースを設けさせていただきました。

本来なら、1カ月以上前にお願いしていたのですが、この日はプロの皆さんのステージが
用意されていたので、私たちはアマチュアですし、遠慮させていただきました。


この日は、MINMIさん、若旦那さん、Candle JUNEさんの演奏が行われる予定になっていました。


最初は、「アマチュア」ということで、どんな演奏が?という感じでしたが、演奏が始まると同時に
人だかりが大きくなっていきました。
演奏後「アマチュアにしては、プロのような演奏でレベル高いですね。」といわれました。
さすが、ガタパンゴのお二人の演奏でした。


演奏終了後、主催者の方から「折角ですからステージで引き渡しセレモニーをやってください」
といわれ、もう一度ステージに立たせていただきました。




引き渡し後、ゆりあげ小学校長先生に一言ごあいさつをいただきました。
「ゆりあげ小学校は、一階部分が被災し、学校が使えないので藤が丘小学校で一緒に授業を
させてもらっている。12月には、学習発表会があるので、そちらのほうで今回のシンセサイザーを
使わせていただきたい」とのことでした。

大変に喜んでいただきました。



終わってから、ゆりあげ朝市理事長 桜井さんと校長先生と3人で写真を撮影させていただきました。



帰りがけに、偶然にも駐車場で、佐々木市長さんにお会いする事ができました。
今回の寄付のお話を聞いていて下さったらしく、お礼を言われました。

せんだいも  

Posted by 飯豊利助 at 23:04Comments(0)復興に向けて

2011年11月13日

早速、礼状をいただきました

今日は、朝から名取市にお邪魔して、ゆりあげ朝市をお邪魔してまいりました。

家に帰ったら、夜8時を回っていましたが、帰ったら、相馬からお礼状が早速届いていました。



相馬の場合は、津波の被害に加えて、原発の問題があり、まだまだ経済復興などには時間が
かかりそうです。
子供たちの笑顔が早く見られるようになって、大人の人たちが一丸となって取り組んでいかれる
とおっしゃっていました。

礼状に加えてもうひとつ、10月26日に発行された「飯豊小学校だより」が加えられていました。



10月には運動会も開かれたとのこと。
考えてみれば、以前3月にお邪魔した時には、皆さんがマスクをされていたのに、今回は
マスクをされていませんでした。
復興への進展がみられ、大変うれしくなりました。

せんだいも  

Posted by 飯豊利助 at 22:09Comments(0)復興に向けて

2011年11月13日

相馬で

今日は、福島県の相馬に来ています。

ガタパンゴの二人と相馬に来て、まちこんのチャリティー募金で集めたお金で楽器を購入し、届けさせていただきました。


相馬市のはらがま朝市会場。相馬市役所の裏の体育館のところです。


まちこんを代表してご挨拶させていただきました。


これだけの楽器を相馬市立飯豊小学校に寄付させていただきました。


高山市長国島芳明(みちひろ)さんの親書を読ませていただきました。
住民の皆さんが、感動して聞いてくださっていました。


子供たちに、楽器を手渡しました。
笑顔が印象的でした。



相馬市立飯豊小学校長 高橋誠先生の御挨拶をいただきました。
「復興のためには、子供たちが元気になって、お年寄りをたのしませてあげることが必要だ」と
言ってくださいました。



お待たせしました。ガタパンゴの演奏が始まりました。


こんなにたくさんの方に聞いていただきました。
みなさん、真剣に聞いてくださり、拍手もたくさんいただいてありがたかったです。


見てください、観客の皆さんの顔。どの顔も、楽しんでいただいています。
時には笑顔がこぼれました。

イベントを主催されている押田さんの話。
「プロのステージもたくさんやっていますが、アマチュアでここまで観客が引き込まれたのは、
ある意味すごいです。それだけ、皆さんの演奏が素晴らしかったんだと思います」
という、たいへんもったいないお言葉をいただきました。


NHKのさくらのテーマを私も演奏させていただきました。


結構感情こめて、歌いましたが、拍手が多かったです。ありがたかったし、元気をいただきました。



見てこのお客さんの笑顔。


すごい乗ってくださっています。


アンパンマンを演奏した時、こどもたちものってくれていました。


最後、子供たちと一緒に記念撮影。ありがとうございました。



それから、飯豊小学校まで行き、メンバーで記念撮影。


本当に東北まできましたが、楽しいステージをやらせていただき、逆にお客さんからパワーを
いただきました。

復興にはまだ時間がかかると思いますが、頑張ってほしいです。

せんだいも
  

Posted by 飯豊利助 at 21:58Comments(0)復興に向けて

2011年09月12日

チャリティー物産販売を行ないました。

しばらくブログをお休みしていましたが、先日、「飛騨高山まちなみコンサート」を
開催しました。

味まつり会場の「Street Hot Spot」とStreet Jazz Festival会場にて、今回、チャリティー物産品を
販売しました。





宮城県名取市からは仙台名物の「笹かまぼこ」
福島県相馬市からは地元名産の「お菓子」と「お酒」を送ってもらいました。
チャリティー募金も同時に行いましたが、集まったお金と収益金で、現地の子供たちに楽器を
送りたいと思っております。




11日には、相馬市からお菓子も届き、一緒に販売しました。


たくさんの皆さまの御協力をありがとうございました。

せんだいも  

Posted by 飯豊利助 at 15:36Comments(0)支援活動

2011年06月12日

相馬市長のメッセージ6/11

◆━━━ 相馬市長立谷秀清メールマガジン 2011/06/12号 No.254 ━━━◆


----------------------------------------------------------------------

みなさんこんにちは、相馬市長の立谷秀清です。

今回は、私の書き下ろしエッセー「相馬市復興計画」をお届けします。

----------------------------------------------------------------------

●相馬市復興計画


 6月3日、今後の相馬市の復興の方向性を協議するために「相馬市復興会議」

を立ち上げ、議論すべき課題を検討項目として私なりに整理して提示した。た

だ現段階で、3年後、5年後の被災地の姿や、被災した方々の望ましい生活像を

描き切れるかといえば、かなりの無理がある。国の制度を変えないとどうして

も進めない部分もあるし、何より財源の見通しが立たないと夢話に終わってし

まうから。 


 この3カ月、被災による健康や精神へのダメージを最小限に抑え、また原発

など二次的な被害から地域を崩壊させないことを最優先に対策本部を運営して

きた。次々に発生する難問に、ひとつひとつ丁寧に、迅速に対処するため、市

役所はじめ市民が一丸となって頑張ってきた結果、少なくとも対応の遅れで死

者を出すことは無かった。特に対策本部員はほとんど休みも取らず、よくやっ

てくれたと思う。


 被災して間もないころに政府が立ち上げた復興会議には、当時、正直言って

違和感を覚えた。少なくとも震災後一カ月までは目先の直面する課題解決に夢

中で、彼らの議論の中身が、我われには遠い国の話のように思えたのである。

 今回の震災は規模が異常に大きく、またそれぞれの被災市町村によって状況

がすべて異なる。何より、「元に戻せば復興」とはいかないことが大きな特徴

であり、それぞれの地域特異性ゆえに復興の定義も多様である。

 多かれ少なかれ、何らかの原発被害を受ける本県の各市町村と岩手宮城では、

全く違ったプロセスで復興が進むだろう。また本県の中でもそれぞれの市町村

によって、被害の実態も、復興に対する考え方もすべて異なる。相馬市のこと

は相馬市でなければ決して分からないのだから、自分たちで脳みそに汗をかき

ながら復興計画を練り上げ、育て上げていくべきである。政府の復興会議は被

災市町村と緊密に連携しながら、現実を踏まえて復興策を議論すべきだと思う。


 大津波による大規模被害の最大の特徴は、復旧が決して復興にならないこと

だ。相馬市でも被災地にある程度の居住制限をかけたうえで、新たに生活の場

と産業を再構築していかなければならないのだが、津波で瓦礫の原となった被

災地の将来的な扱いについては、我われだけの知恵と体力だけでは如何ともし

がたい。この際、職住分離が基本的政策になるが、被災地を職業領域やソーラ

ーなどの生産基盤にしようにも、公用地として土地利用を進めなければ、いず

れ住民の財産権と衝突することになろう。だからといって被災市町村にとって、

集団移転促進事業法律(S47)で定める25%にもなる土地買い取り料負担は困難

だ。せめて負担を10%以下、できれば5%に抑えられる交付金が必要である。

実現できれば被災者の生活支援にもなる。

 住居については高台移転が無論望ましいが、現段階では移転の絵は描けても、

その後の人生設計までは企画出来ない。高台に作った災害公営住宅を将来

(7.5年後)安価に売却することが出来ないのだ。この点は大震災復興特区で

制度の壁を突破できるよう国に要請していきたいと思っている。


 もうひとつ重要なことは、復興に至るまでの長い道のりをマネジメントする

ことである。どんな立派な復興計画をたてても、途中で孤独死や自殺者を出し

たのでは情けない。だから復興計画には最終の姿に至るまでの管理計画も含ま

れる。仮設住宅での健康管理、孤独死防止、子どもたちのPTSD対策、瓦礫撤去

の際の作業員の健康管理、地域経済活性化、放射能問題対策など予想される多

くの課題についての対策も当然復興計画の一部である。これらの問題をのり越

えてはじめて復興のステージに立てると考えれば、おのずから中心テーマは被

災した市民の生活再建ということになる。多少おおげさかも知れないが、私が

考えるに、何をもって「復興」を定義するかと言えば、それぞれの世代で被災

者の人生設計が可能になることではないだろうか。

 子どもたちの将来のために充分な教育体制を築き、孤児・遺児には生活支援

をしながらしっかり育てること。特に単独世帯をはじめとするお年寄りには、

安心な生活と医療介護体制を提供すること。

 青壮年の世代には産業の復活と雇用の確保。

 これらの大きな課題を達成するために、瓦礫を撤去して土地利用を図り、安

全で安価な住宅を提供し、また漁港や農地を復旧するのだ。さらに、土地利用

の知恵を縛り、住宅取得の無理のない方法を考え、漁業や農業の新しい経営方

法や事業形態を生み出し、それぞれの年齢層で将来像が描けるようになるため

に、ハード事業を細心の注意を払って展開していこうと考えると、復興計画の

意味が見えてくるようになる。


 また、復興計画は今後発生するであろう新たな問題や、国の対策の規模、範

囲、深さ、きめ細かさの如何によっては当然変化と進化をすべきものである。

 相馬市はここ数年私のマニフェストを、市が認証を受けているISO9001に基

づいて、PDCAサイクルを廻すことによって実現する手法を用いてきた。今回の

復興計画も2011バージョン1として作ればよいのだ。来年はPDCAサイクルによ

りバージョン2として進化させればより実効性のあるものが出来るだろう。過

去に認証を受けたISO14001の精神や手法も、環境影響を最小限に抑えるために

役に立つに違いない。

 ISOを展開するのに必要なことは軸(理念)がしっかりしていることである。

復興にあたって軸は、「それぞれの年齢層での人生設計が描けるようにソフト

事業を。その為にハード事業を適切に実行」ということになるが、新たな課題

の解析と対応とか、達成度のチェックとか、手法の見直しとかを相馬市が慣れ

親しんだやり方で自信を持って目的達成に走ればよい。


 計画立案にあたり、客観的な評価とさらなる知恵を求める目的で復興顧問会

議を置き、各界の有識者に顧問にご就任いただいた。座長には早稲田大学マニ

フェスト研究所の北川正恭教授、ほか東京農大学長の大澤貫寿氏、元国交省技

監で現在国土技術センター理事長の大石久和氏、元国税庁長官で現在日本損保

協会副会長の牧野治郎氏、東大医科研の上昌広特任教授、ローソン社長の新浪

剛史氏、難民を助ける会理事長で立教大学教授の長有紀枝氏。相馬市においで

いただいたことのある方のなかで、私が私淑する7人の有識者にお願いしたと

ころ先生方には快くお引き受けいただいた。我われの立場に立ってご議論いた

だけるものと期待をしている。

 これから各課題の具体策な方法論と、財源根拠の精査に入るが、7月中には

バージョン1-1を、顧問会議のご指導を得て、市民と相馬市の支援者の皆さま

に提示したいと考えている。その際ホームページにアップするので、特に今回

の震災で相馬に支援においでいただいた方や、遠くから寄附を寄せられて間接

的にも今日までの復旧・復興作業に参加された善意の皆さまからも、広くアド

バイスをいただければ有り難い。


----------------------------------------------------------------------

■発行:福島県相馬市 企画政策部秘書課
 TEL 0244-37-2115

●このメルマガに関するお問い合わせやご意見メールは、
 info@city.soma.fukushima.jp

  

Posted by 飯豊利助 at 12:10Comments(0)復興に向けて

2011年05月20日

相馬市長のメッセージ5/20

─────────────────────────────────[PR]─


◆━━━ 相馬市長立谷秀清メールマガジン 2011/05/20号 No.252 ━━━◆
           

----------------------------------------------------------------------

みなさんこんにちは、相馬市長の立谷秀清です。

今回は、私の書き下ろしエッセー「新しい村」をお届けします。

----------------------------------------------------------------------

●新しい村

 震災から今日で70日を数える。仮設住宅への移転が順調に進んでいるとはい

え、まだ800人余りの方々が避難所暮らしをしている。全員の方々の仮設住宅

への移転が完了する6月中旬まで、対策本部としては毎日の会議を継続中であ

る。健康のため交代で休むよう指示してきたが、気がつけば、私が東京への出

張で一回だけ本部会議を欠席した私以外、部長以上の幹部は全員が毎日出て

きている。避難所閉鎖をもって、日曜日は本部会議を開かない、公休日にしよ

うと思っているが、あと三週間余りだからこのまま無休で頑張ってもらいたい。



 さて、震災直後は合計4400人にも膨らんだ避難所を眺めて、仮設住宅を一日

も早く完成させることと、この避難所から一人でも死者を出さないことに闘志

を掻き立てた。市内の医療機関の頑張りと、日本医師会、全日本病院協会、東

京医大と東京都チームの方々の医療支援活動や、多くの市民、協力団体のボラ

ンティア活動により、私の当初の大目標は達成できそうに思える。避難所のう

ち中村二小の体育館には両陛下にお運びいただいて、一人ひとりお言葉をかけ

られた。さらに被災した現地でご説明を求められた私は、消防団員たちの犠牲

の上に生き延びた人たちの命があるのですと申し上げたところ、小雨の中、傘

をお取りになって英霊たちに黙礼を賜った。両陛下のお陰で私もすこしだけ、

許してもらえたような気がした。



 彼らが残した子どもたちへの、私の気持ちを前回書いた。しかし津波の生存

者の今後の生活支援を、しっかり行っていくべきことも彼らの残したメッセー

ジである。いま被災者全員の生活状況をデータベース化しているが、最初にこ

の災害で単独世帯になった人、つまり家族でたった一人助かった人たちのリス

トを作って対策を講ずることにした。二次災害として医療の次に留意すべきは、

経済自殺と孤独死だからである。調べてみると93歳男性を筆頭に110人の方が

単独世帯になっていた。中には、自分だけ助かったことを悔やんでいる人もい

るという。

 仮設住宅への入居を中期計画の目標にしてきたが、これらの方々の仮設住

宅での一人暮らしには、特に長期的な支援を、と思っている。なによりも寂し

さ対策と励まし合いが必要だ。一つの方法として複数で住むことを奨めてみた

が、全員が独りで住みたいという。ならば集会所で一緒に食事をとりながら、

最低でも一日一回のコミュニケーションをとってもらおうと考えて、夕食は配

給制にすることにした。よって一年間は仮設住宅入居者全員に夕食を提供する

が、独居世帯者には集会所で食べてもらう。また、健康チェックも含めて、顔

合わせと会話の機会を積極的に作っていきたい。



 独居世帯も含めて、仮設住宅での生活をお互いに支え合いながら過ごして

もらうために、出来るだけ元の地域ごとのコロニーを、集会所ごとに作ってい

きたいと考えている。およそ80戸でひとつの集会所を囲む形になるが、一棟五

世帯ごとに戸長を選び、集会所ごとの戸長会議を組長が束ねる。組長を行政

区長が兼務するケースも出てくるが、組長協議会の上に区長会議を位置づけ、

行政サービスをこの組織図で行う。したがって住民健康診断をはじめ、支援物

資の配給や、外部からの炊き出し部隊のサービスなどは、区長会議と組長協議

会で整理する。

 相馬市の場合、原発事故のため避難生活を余儀なくされる双葉地方をはじ

め、飯舘村や南相馬市の避難民の方々を受け入れることになるが、ふるさと自

治体ごとのコロニーを作ることと、行政サービスの葉脈を作ることが、慣れな

い地域で過ごしてもらうためのポイントである。



 相馬市のエリアでは集会所ごとに市の担当者を張りつけるが、他の自治体か

らのコロニーには役所の職員が一世帯以上住んでもらいたいと考えている。71

戸の住民をお預かりすることを決めた飯舘村長とは、村職員居住を申し合わせ

た。現在、市外から多くの申し込みをいただいているが、以上の理由により最

終的には首長さんと調整して入居受け入れを決めさせていただきたい。あと

は、他の自治体からの仮設住宅入居者を相馬市民同様、市民全員の力で大切に

させていただくことだ。


----------------------------------------------------------------------

■発行:福島県相馬市 企画政策部秘書課
 TEL 0244-37-2115

●このメルマガに関するお問い合わせやご意見メールは、
 info@city.soma.fukushima.jp

  

Posted by 飯豊利助 at 17:51Comments(0)飯豊の現況

2011年04月29日

Blessに掲載されました

レオイの支援レポートとして、高山の地方紙Blessに掲載されました。

















この本も相馬市長あてに送りたいと思います。


byせんだいも
  

Posted by 飯豊利助 at 19:00Comments(0)支援活動

2011年04月28日

Reform Report 4月号

レオイの政井さんが、支援活動をされたということで、業界紙Reform Reportという

業界紙に掲載されました。







これは、相馬市長経由で、お世話になった飯富小学校へ送りたいと思います。


byせんだいも  

Posted by 飯豊利助 at 19:00Comments(0)支援活動