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2011年04月27日

相馬市長から礼状が届きました

先日、3/24に相馬市を伺った際に、名刺を置いてきたことで、今日市長から

礼状をいただきました。


どうもありがとうございました。





これからの復興が大変ですが、頑張っていただきたいと思います。


せんだいも
  

Posted by 飯豊利助 at 21:52Comments(0)復興に向けて

2011年04月27日

相馬市長のメッセージ4/26

◆━━━ 相馬市長立谷秀清メールマガジン 2011/04/24号 No.251 ━━━◆
           

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みなさんこんばんは、相馬市長の立谷秀清です。

今回は、私の書き下ろしエッセー「震災孤児等支援金支給条例」をお届けしま

す。

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●震災孤児等支援金支給条例

 被災から40日たって巨大津波の相馬市の被害の全容が明らかになってきた。

 まず、床上浸水以上、つまり津波による流水の前に住人が生命の危機に曝さ

れた家屋が1512世帯、住民基本台帳での人口は、前回から修正して5249人だっ

た。その中で、今日の段階で死者および行方不明者の合計は475人。津波襲来

の時にこのうちの何人が被災地にいたのかは不明だが、現段階で死亡者の数が

一割を切っていることには、驚きと感謝の気持ちを禁じえない。原型をとどめ

た家屋がほとんどない程の大津波から、9割の住民を避難させたのは地元の消

防団員たちだった。しかし、その犠牲者数は前回のメルマガ時から3人増えて

10人となった。


 磯部地区の方々が集団で避難生活をしている「はまなす館」で、殉職された

消防団員のお母上とお会いして首を垂れた。息子を亡くした心中を察するに、

私は何と申し上げたら良いか?お詫びしたい自分の気持ちをどのようにお伝え

すべきか?迷いながら視線を上げた私の前で、背筋を凛と伸ばした彼女は気丈

だった。

 「止めたのに、仕事だからと言って避難誘導に向かった。やさしくて良い息

子だった。残した子どもたちのためにも私はしっかり生きなくてはならない」


 殉職した消防団員10人の子供の数は11名、うち18歳未満は9名である。社会

人として自立する前の子供たちを残して、死んでいった彼らの気持ちを思うと

胸が苦しくなる。さぞや無念、心残りだったろう。多くの市民を助けた代償と

しても、余りにも重く、辛い。相馬市が続く限り、市民は彼らを忘れてはなら

ない。

 我われ残された者たちが、父親の無念の代わりを果たすことなど、とても出

来ないことだが、万分の一でもの償いと思い、生活支援金条例を作ることとし

た。遺児たちが18歳になるまで月々3万円を支給するものである。全くの孤児

となった、あるいは片親だけを合わせ、今回の災害で親を亡くした18歳未満孤

児または遺児は、全部で44人にのぼる。この子らが成長するまでの経済的負担

の一部を、市の責任で担っていくことを市民の総意で決めようと考えている。

今月の臨時議会にかけ議決を得しだい支給することとしたい。


 財源は、遺児たちのための義援金の基金口座を作ったので、出来れば世界中

からの善意をいただきたいと思っているが、不足する場合は市の一般財源で対

応する。総額は約2億円。

 もしも、義捐金がこれを突破することがあれば、次には大学進学のための奨

学金などに充てていきたい。その際は条例を改正することになるが、もうひと

つの条件は、孤児らに、将来強く生きていくための学力をつけさせることであ

る。

 相馬市の小・中学校は4月18日に遅れた新学期を迎えたが、心配したとおり

被災地の子どもたちは、心の傷が学習の障害になっている。我われは、臨床心

理士と保健師ら常勤6人体制による「相馬フォロアーチーム」を結成し、教育

委員会の別働隊として被災児童生徒のサポート体制を敷いた。現段階で2年は

継続することとしているが、仮に精神が安定した後もしばらくは、学力向上の

ためにきめ細かな指導を続けてもらいたいと思っている。

 先日、私のメルマガを読んだというフィンランドと英国のテレビ局が取材に

来たので、「貴国の友情をこの子らに!」と呼びかけた。ゆえに相馬市のホー

ムページの義援金口座ワッペンは英語バージョンも用意した。

 拙稿の読者諸兄にもご賛同いただけるよう、平身低頭。



※相馬市ホームページ
 
「震災孤児及び被災者就学資金義援金を受け付けています」

 http://www.city.soma.fukushima.jp/0311_jishin/gienkin/tunami_orphan_J.html


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■発行:福島県相馬市 企画政策部秘書課
 TEL 0244-37-2115

●このメルマガに関するお問い合わせやご意見メールは、
 info@city.soma.fukushima.jp

  

Posted by 飯豊利助 at 21:46Comments(0)復興に向けて

2011年04月18日

「脱原発@飛騨」のホームページ

「脱原発@飛騨」のホームページが立ち上がりました。


くわしくは、こちら

飛騨は福島からは離れていますが、飛騨の近辺には浜岡原発(静岡)、敦賀原発(福井)
などたくさんの原発があります。

これらの原発が同じような被害に遭えば、飛騨は風向きの関係から必ず影響が
あるものと思われます。

今から、脱原発について考えて行かないと、大変恐ろしいことになります。

皆さまの御協力をお願いいたします。

  

Posted by 飯豊利助 at 18:00Comments(0)復興に向けて

2011年04月18日

レオイ災害救援隊空のお願い

「レオイ災害救援隊」からのお願い



義援金については、すでに会社、サークル、町内、個人的にアッチコッチ寄付されておられると思います。
又、此処でお願いするのも心苦しいのですが皆さんのお志は必ず「見えるカタチ」にかえ皆様の心をお届けに行きます。
今迄、皆様が寄付されたお金は復興事業や災害に会われた方々に均等に支払われます。(4月9日現在まだ支払われていません)。死者の方が全員分からないと支給できないのではと考えます。
避難場に余儀なく避難されている方が今、欲しいものはお金ではありません食料や物資なのです。
私共が立ち上げました「レオイ災害救援隊」に皆様のお志を届けさせて下さい。



<支援金振込口座>
飛騨信用組合西校前支店
普通 0045822
レオイ災害救援隊 代表 中谷潤也
*なお皆様のから頂きました寄付金は収支が有る事に開示しております「レオイ災害救援」で検索しますとご覧になれます。

御協力をお願いいたします。

  

Posted by 飯豊利助 at 17:00Comments(0)支援活動

2011年04月18日

第4回支援報告7














(byせんだいも 政井さん撮影)  

Posted by 飯豊利助 at 16:00Comments(0)名取市の現状

2011年04月18日

第4回支援報告6

この津波の被害は想像を絶するものです。













(byせんだいも 政井さん撮影)
  

Posted by 飯豊利助 at 15:30Comments(0)名取市の現状

2011年04月18日

第4回支援報告5

海に近くなればなるほど、その状況は苛酷さを増しました。















(byせんだいも 政井さん撮影)



  

Posted by 飯豊利助 at 15:00Comments(0)名取市の現状

2011年04月18日

第4回支援報告4

政井さん、海岸に行くほど、言葉を失われたそうです。















(byせんだいも 政井さん撮影)
  

Posted by 飯豊利助 at 14:30Comments(0)名取市の現状

2011年04月18日

第4回支援報告3

支援物資を届けてから、名取市市街地を走りました。

そこには、言葉では言い尽くせない光景が・・・













(byせんだいも 政井さん撮影)



  

Posted by 飯豊利助 at 14:00Comments(0)名取市の現状

2011年04月18日

第4回支援報告2

以下、実際に行かれました政井さんのコメントです。

「物資の次の降ろし先名取市「舘腰小学校」にいった。



自衛隊の炊出し部隊が運動場に駐屯している、担当の方に挨拶をした物資の降ろしを避難している方、職員、市会議員さが手伝ってくれる「此れは有り難いこ言うモノが欲しかった…」此れまでに、こんなにも有り難がってくれた被災地は初めてである。



市会議員さんの大田さんが

「ご紹介しますので避難されている人を激励してやってください…」

と頼まれ体育館にいきました。

「此の方は岐阜県の飛騨の高山とても遠い所から皆さんにと、おかずをお持ち下さった有り難い事です、こんな遠い所からもお応援をして下さっている皆で頑張りましょう」

涙声で紹介をされました。

政井「亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます又、まだ見つかっていない方々が早期に発見される事を心からお祈りしています。みなんさんは幸いに助かりました亡くなられた方の分まで生き抜いて下さい僕達は絶対にお応援します又、必ず来ますだから、元気でいて下さいお願いします…」。
9日朝、市職員舘腰小学校担当者、名取災害対本部の方、市会議員の大田さんから丁重なお礼の
電話を個々に頂きました。
往復1.250㌔搬送の疲れは一遍に吹っ飛びました。





名取市の被災地状況



(byせんだいも)  

Posted by 飯豊利助 at 13:30Comments(0)支援活動

2011年04月18日

第4回支援報告1

第4回目の支援報告をします。

今回は、レオイ(株)の政井会長が自社に支援本部を設けて支援活動をされました。

前回のNPO星の皆さんのほかに、自身で呼び掛けられた過多の支援物資を、
名取市、亘理町と連絡を取り、結果的に名取市に届けられました。


今回の支援活動は、4月8日~9日
「脱原発@飛騨」「テディベア社員」様86.250円「レオイ災害救援隊」から260.000円義援金で根菜、缶詰め、海苔、真空パック総菜その他お声を掛けた皆様の支援物資を7日夕方積込み。


8日早朝3:00高山出発、最初のお届先宮城県の亘理に対策本部に12時頃に着いた。
被災地と言うより自衛隊の車があったり又、警備にあたったりしているどこかの国の内戦状態の避難所と錯覚する位だ。


亘理町の対策本部


現地では自衛隊が活動されていました。









亘理町市街地の一部に、陸にも関わらず船が流されています。

(byせんだいも)
  

Posted by 飯豊利助 at 12:25Comments(0)支援活動

2011年04月05日

相馬市長のメッセージ4/4

◆━━━ 相馬市長立谷秀清メールマガジン 2011/04/04号 No.250 ━━━◆
           

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みなさんこんばんは、相馬市長の立谷秀清です。

今回は、私の書き下ろしエッセー「消防法被」をお届けします。

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●消防法被

 あの時に、家族を振り切って避難誘導に向かった団員たちのご遺体が、次々

と消防法被姿で発見されるなか、長らく行方不明だった稲山分団長が無言の帰

還を果たした。とても責任感の強い人だったから、最後まで住民避難に走り回

ったのだろう。私に、郷土を想って殉職した怨霊の一分でものり移ってくれと

念じ、クローゼットにあった消防法被を着けて執務することにした。

 残された家族たちは、しかし、現在7か所に整理された津波被災者の避難所

で健気に整然と暮らしている。ブロックごとにリーダーを立て、規律正しく、

諍いもなく、笑顔を絶やさずにである。

 家族を失い、家を失い、生活手段を失った被災者を支えているのは、地域の

コミュニティであり彼らの礼節である。浜で育った私もそうだが、被災地の、

自然を畏敬する漁労集落の人々の社会感・人生観は、集団の一員であることを

特に大事にする。

 外国人が驚嘆する日本人の落ち着きが、もっとも著明に顕れているのは、こ

の相馬の避難所に違いない。


 三週目に入った頃に対策本部チームと避難所に一日二回、ラジオ体操を指示

した。我われは学童期から団体行動を刷り込まれて育ってきたが、その最たる

ものが夏休みのラジオ体操だったと思う。外国人から見れば違和感のある光景

かも知れないが、非常時に個人主義はなじまない。規律正しい団体行動をラジ

オ体操が思い出させてくれた。音楽に合わせて全員がそろって手や足を振る姿

は逞しくもある。

 私をはじめ、被災後の相馬市役所に休日は無く、朝から深夜まで不休の仕事

が続くが、疲れとか、ストレスだとか、弱音を吐くものはいない。無くなった

方の無念や、被災者の落ち着きと悲しみを想えば、我われはまだ楽だ。しかし、

想像もつかないほどの長丁場になることを考慮し、私と副市長、それに部長た

ち以外は交代で休みを取ることにした。市役所が身体堅固であることも責任の

一端だと思うから。

 一緒にラジオ体操をしてくれるボランティアの協力があってこそ出来る交代

休養だが、兵糧の援助だけでなく、市内外からやってくる優しい気持ちが私や

被災者の心を温めてくれる。


 災害対策は中期計画に入ってきた。

 短期対応は「救命」と「衣食住」だが、中期的な重点課題は「医職住育」。

今回の相馬の場合「備える」を加えて「医職住育備」となる。

 災害発生から今日まで、救命と捜索、ライフライン、初期医療体制の確保、

また原発騒動もあり困難だった食糧・物資獲得や放射能不安対応に専心した。

領域が広範にわたる捜索はまだまだ続くが、ここに来て中期的な課題が急務と

なってきている。

 まず、避難所となっている教室を開けて、学校を再開しなければならない。

避難所の再編成のためには入所者を減らさなければならないので、賃貸住宅や

公営住居へのあっせんと移住をすすめてきた。既存住居への自立支援件数が、

学校の教室を確保できる分だけは見込めるようになったので、四月下旬までに

は再開出来そうだ。したがって中期的な「育」には何とか到達できそうだが、

細かい課題は依然として多い。


 次の目標は仮設住宅のへの自立だ。仮設住宅は県が建設するとされているが、

相馬の場合、市で段取りして一刻も早く作りたい。地域主権論、地方政府論か

ら申し上げれば、直接住民と向き合う基礎自治体に事務能力があれば、任せて

もらいたいのだ。阪神大震災の時は神戸市役所に仮設住宅建設の事務委譲がな

されたが、今回は県から相馬市への事務委譲を強く求めている。


 「医」はライフラインそのものだということも、また総合産業だということ

も今回わかった。災害医療だけでも膨大な経験をしたが、まだ最終的な医療体

制を構築していないので、地域全体の将来設計も含めて今後慎重な議論が必要

である。気が遠くなるほど道のりは遠いが、いずれまとめて報告したい。


 「職」はもっとも厳しい問題である。これには経済的な危機も含まれる。漁

船を漁港もろとも失った漁業者も、田んぼを海水に没した農業者も、生活の手

段を失っただけでなく、債務が容赦なく追いかけてくるのだ。この件に関して、

我われ市政はあまりにも非力である。国家的な課題として取り組んでもらわな

いと、災害自殺者が生まれかねない。相馬市では弁護士無料法律相談を県弁護

士会に要請したが、被災者の心の拠り所になってくれないだろうか?しかし根

本的には、何でもいいから被災者に仕事をしてもらい、収入の道を探ることが

一番の解決策である。私が仮設住宅建設を市の事務として、地元工務店に発注

したいと切望するひとつの理由である。


 重点事項の最後は放射能拡散に対する「備え」である。私は国から避難指示

が出ない限り、市民に避難を呼び掛けることはしない。そのことは前回も書い

たし、市民も納得していると考えている。しかし万が一、避難指示地域に指定

されることがあったら、その時はある程度の時間をかけて、落ち着いて集団避

難することを準備しておかなければならないし、市民も頭の隅に置いてもらわ

なくてはならない。その可能性に対し、気持ちを緩めないためにもリックサッ

クを一家庭にひとつずつ配ることにした。イザという時のセットを入れておい

てもらいたい。入院中の患者については、ある広域医療法人に全て受け取って

もらえる了解をいただいているが、取り越し苦労に終わってほしい。老人ホー

ムなどの介護系入所者についてはこれからだが、在宅の災害弱者も改めて調査

中である。


 今や物流はほぼ回復したが、基本的な食糧の備蓄は進めている。現在米は市

民一人あたり4キロ、水は4リットルを備蓄した。味噌と梅干しも相当量集まっ

たが、現在も貯蓄中である。

 前回のメルマガで、「米と梅干しと味噌さえあればろう城できる」と書いた

が、十日たった今は多くの店がオープンした。呼び水になったのはローソン。

新浪社長とはこの件ではじめて知り合ったが、お互い意気投合して相馬店の再

開方法を何度も話し合った。積極的で企画力にあふれる彼が、ついに相馬店を

オープンさせてくれた時は暗闇に明かりが灯る思いだった。その他、東京医大

臼井学長、東大の上教授、中村教授、女子医大田上教授、徳州会徳田理事長に

も温かいサポートをいただいている。この稿を借りて深謝したい。


 相馬市では現在まで378体のご遺体を収容したが、未だ200人余りの捜索対象

者がおいでになる。今後も懸命の作業を続けなければならないが、一方、中期

的な課題解決は、同時に相馬市の将来像や相馬地方全体の復興ビジョンを視野

に入れた長期計画の始まりでもある。この戦いがいつまで続くか計り知れない

が、まだ始まったばかりであることは間違いない。


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■発行:福島県相馬市 企画政策部秘書課
 TEL 0244-37-2115

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Posted by 飯豊利助 at 01:49Comments(0)飯豊の現況

2011年03月30日

相馬市原釜地区のビデオ映像

相馬市原釜地区に一回目に行きましたNPOの

ビデオがアップしました。


こちらです→http://npo-hoshi.org/?page_id=92

byせんだいも  

Posted by 飯豊利助 at 22:00Comments(0)飯豊の現況

2011年03月30日

NPOのページができました

NPOのブログができたようです。

今回の支援活動「お地蔵さんプロジェクト」の内容について書かれています。


第1回目支援 3月18日


第3回目支援 3月25日


byせんだいも  

Posted by 飯豊利助 at 21:30Comments(0)支援活動

2011年03月30日

高山の観光産業

今回の震災以後、高山の観光業界には大変な不況の嵐が吹いています。

3月の21日までにホテルが受けたキャンセルが2000件。

4月の末までに、2800件のキャンセル。

また、あるホテルでは、5月末までに5000件のキャンセルとなったそうです。


3月の春休みに入っても、旅行者がまばら。

このままでは、観光関連産業が倒産する事態にもなりかねません。



おまけに、4月に入ると、統一地方選挙が予定されており、

岐阜県では、4月3日に岐阜県議会選挙告示ー4月10日投票日。

高山市では、4月17日に高山市会議員選挙告示ー4月24日投票日。

産業がこんなときに、おまけに高山祭など稼ぎ時に、高山市では選挙があります。


当然、観光地でも選挙戦があるわけですが、全国統一ということもあり、観光に

人が訪れることは、ごく一部の人になります。


そこへ、古川祭の中止や、神岡祭りの中止が報道され、観光に影を落としています。


稼ぎ時の4月。そしてGWのある5月にお客様が来られないと、観光で食べている

高山でさえ、風評被害を受けかねません。



byせんだいも


  

Posted by 飯豊利助 at 20:00Comments(0)風評被害を考える

2011年03月29日

残念なお話し

福島県で農業従事者が先行き不安で自殺者が出た模様です。相当深刻になってます。他県の人が福島県の農産物を食べないとまたひどくなる。基準を何とか上げてほしいです。
  

Posted by 飯豊利助 at 23:09Comments(1)

2011年03月29日

高山のお漬物と被災地の関係

今日は、今回の被災地支援に向けての物資を供給してくださった食品会社の

皆さんに、お礼を述べ、「受領書兼災害支援証明書」を配って回りました。

これは、決算の時に、企業として損金処理ができる証明書です。

その折、高山のお漬物が「茨城県産の大根」を一部使っていることがわかりました。


今回の放射能の影響で、そこでできた農産物の出荷が制限されています。

茨城県産の大根は、昨年収穫されたものですから、放射能とは関係ありません。

しかし、最近の食品の傾向で、「原産地表示」というものが、自主申告される

システムとなっています。特に、生協やスーパーというところでは、原産地が

どこであるのか、証明書をつけるシステムになっています。


おそらく、これから、食品を出荷する際に、この表示証明をつけた場合、販売先

においては、「茨城県、福島県、栃木県、宮城県」の表示をつけたものは、今回の

放射能の影響に関係なく、売れなくなるだろうとのこと。

そうなると、これはまさに風評被害でしかありません。


こういった問題が起きて、現地の会社が食品供給ができなくなると、倒産する事も

考えられます。

また、今後は、中国の食材がかなり日本に入ってくるでしょう。そのときには、

中国の農薬などの問題がクローズアップされてきます。

身近な問題として、中国製品を日本人が受け入れるのかどうか、また食品の安全性

は大丈夫なのか、そういうことが問題となってくるでしょう。


高山のお漬物一つとっても、そういう問題に直面するため、大根の産地を変更するとか

いろんな問題がでてきそうです。


byせんだいも

  

Posted by 飯豊利助 at 20:00Comments(0)風評被害を考える

2011年03月28日

今日わかったこと

今朝、飯豊と連絡取りました。

現在、避難所となっている飯豊小学校体育館は、4月より学校が再開されるため、

相馬市では、避難所を統合する事を考え、区長さんたちと話し合いを行なっている

そうです。

そのため、学校の先生方は、4月からの新学期に向けて準備を進めており、なかなか

現地の情報をお知らせいただけるような余裕がないとのことでした。


今後、このブログについては、市役所の方が余裕があれば、お知らせいただけるとの

ことで、一度、相談させてほしいとのことでした。


今後の情報については、現地のお知らせをお待ちください。


byせんだいも
  

Posted by 飯豊利助 at 21:36Comments(2)飯豊の現況

2011年03月27日

被災地の状況を考える

先ほど、相馬市長のメッセージを掲載しました。

通信回線が回復するにつれて、現地の声が届くようになりましたが、残念ながら
私ども、非被災地の人が心配すればするほど、現地には迷惑になっています。

実際に行ってみて、次のことを感じました。

1)物資が足りているところと足りていないところの格差がある。
(風評被害。マスコミの報道されない場所で物資が不足している)

2)がれきの取り除きが思うように進んでいない。
(死者が多いので、捜索するために重機でむやみにできない)

3)ガソリンが大量に不足し、自動車や重機が思うように動けていない。
(確保するのに、6時間以上かかる。またできても上限3000円など制限あり)

4)財産がなくなった人、一部なくなった人の格差がある。

5)支援の輪がひろがるにつれて、物資が大量に現地に流れ込み、その仕分けに
追われているところも出てきている。

などです。

先ほど、相馬市長のメッセージにありますように、私たち非被災地域と被災地域の
間には、格差が生じています。

私も、個人的に現場と連絡取り合って、このようなブログでお知らせいただければ
と思いましたが、こちらサイドの物の見方をすると、かえって迷惑になると判断
致しました。

そこで、はがきを出していただくことは、中止させていただきます。

ただし、メールについては、私が管理しておりますし、現地でも見れると思います
ので、皆さんのメッセージとしてお伝えいただければと思います。

どうぞ、皆さまの御協力をよろしくお願いいたします。

せんだいも こと ながせきみあき
  

Posted by 飯豊利助 at 10:01Comments(3)支援活動

2011年03月27日

相馬市長のメッセージ

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みなさんこんにちは、相馬市長の立谷秀清です。

今回の震災を受け、私は相馬市役所職員にこのような訓示をいたしました。

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●市長訓示

                   平成23年3月22日 庁内放送にて

震災の発生から今日で12日目の朝を迎えました。まず、この間職員の皆さんが

しっかりと一糸乱れず災害対策本部の指揮命令系統のもとに冷静に対応してく

れたことに、心から感謝を申し上げます。


被災した県内市町村の情報を聞きますが、相馬市は統制が執れていて、それぞ

れの職員が今何をしなければならないのかをしっかり自覚して士気も高いと、

そのような評価もいただいております。このような震災に遭うまで、皆さんが

自分の仕事の立ち位置をしっかりと把握しながら毎日働いてきた成果が、この

ようなピンチの時に現れたものと大変誇らしい気持ちでおります。


さて、我々は地震発生後直ちに災害対策本部を立ち上げ、今後の大きな方向性

を決定しました。その決定とは、まずは地震による津波から沿岸部の市民を守

ること、倒壊した家屋の中に生き残っている人がいる場合には速やかに救助す

ることでした。いわゆる地震に対する災害時救助活動のマニュアルに基づき決

定しました。


しかしながら、実際の津波は我々の想定をはるかに超える巨大なものでした。

ここが今回の震災の大きなポイントです。


津波の直後は、この未曽有の自然災害に対して、やはり人の命を守るというこ

とが一番のテーマでした。従いまして、救助を待っている方々を救出すること、

あるいは危険のあるところから安全なところに避難させること、これが超短期

的な対応でした。


さらにはその延長になりますが、捜索活動も短期的な対応になります。現段階

で、生存者の救出という可能性はほとんどゼロに近い状況です。しかしながら、

瓦礫の下に我々と同じ市民が亡くなったままにいるという現実もありますので、

これはしっかりと対処していかなければなりません。自衛隊、消防、警察、そ

れから本市の消防団も含め様々な組織の力を集結しながら本日も行っておりま

す。


また、震災直後の市民の命を、あるいは健康をどうやって守るかというのも短

期的な行動であります。避難所を開設して、その避難所にとにかく落ち着いて

居ていただくということも短期的な対応ということになりましょう。


その一方で同時に、中期的、あるいは長期的にはどういうことを考えていかな

ければならないのか。


中期的には、避難所にいる方々を市内のアパートや用途廃止した公営住宅、新

たに建設する仮設住宅などに移っていただいて、それぞれが自立した生活がで

きるようにすることです。自立するということは、それぞれのご家庭がそれぞ

れのかまどを持つということです。今、避難所での生活は集団生活でプライバ

シーというものはなかなかありませんので、それぞれのご家庭が一つのかまど

を持って独立して暮らしていただくことです。さらには、その自立される方々

をどうやって支えるか等々の問題について、色々と配慮をしていかなければな

らないと思います。


また、長期的には、やはり壊滅的な被災を受けた原釜地区、松川地区、岩子地

区、あるいは磯部地区などの地域が復興を遂げるというのが最終的な目標にな

ります。短期的な対応から中期的対応、そして長期的対応に移っていく中で、

我々はとにかくこうやっていくのだと、その方向性をしっかりと持ってインフ

ラの再整備ということも考えて、やはり最終的にはこれらの地域にもまた家を

建てて人が住めるような状態まで回復させるというのが長期的な我々の目標で

す。このことをしっかりと胆に銘じていただきたいと思います。


ところが、この方向性を震災初日のうちに決めたのですが、原発の問題が起き

ました。原発の問題については、相当市民の間で不安が広がっていますが、こ

れは二つに分けて考えたいと思います。一つは、原発の放射能で市民が健康被

害を受けることがないようにというのが一点、それからもう一つは、放射能の

不安によって市民生活がおかしくならないようにというのが一点、この二つで

す。相馬市と、相馬市民にとってこの二つをきちんと処理していくことが必要

となります。


まず、原発の事故そのものによる放射能の人的な被害については、10km圏内が

最初に避難指示とされ、その後20km圏が避難指示ということになりました。

南相馬市が含まれている30km圏については屋内退避ということになっておりま

す。私の方も独自に色々な情報を集めて放射能の量を測っておりますが、仮に

屋内退避であってもそこに住めないということではありません。そこにいない

方がいいということではないのです。


そこにいる限り屋内にいた方が無難である、屋外に比べて屋内は放射能の量が

10分の1になる、だったら屋内にいた方が無難であるという判断です。必ずし

も退避しなければならないという判断ではありません。


しかし、そこに住んでいる方々の不安心理、あるいはそこの地域に物資の供給

をする方々の不安心理でもって、20kmも30kmも同じような受け取られ方をして

いるというのが実情です。この20km圏、30km圏について国の対応が今後どうな

るのかは、私は99%相馬に避難指示がでることはないと思っておりますが、し

かし絶対ということはありませんから、その時のことも頭の中に想定しておか

なければならないと思っておりますし、現にその場合の事も考えております。


我々は最初の計画で、この地震や津波によって相当部分が破壊された故郷をど

うやって復興するのか、その過程において市民の皆さんの生活をどうやって維

持していくか、避難所での生活もそうだし、仮設住宅の建設もその一つですが、

これをしっかりと一歩一歩やっていこうというのが我々の基本中の基本の政策

であり、相馬市の方向性であります。原発の問題があるにせよ、その方向性に

向かってしっかりと地に足を付けて行っていくということに何ら変わりはあり

ません。


もしも、国が我々に対して避難をしなさいと命令をした場合には、やむを得な

いが国の命令に従おうと思っています。国が避難指示を出さない限り、私は最

初の復興計画に則って一歩一歩進んで行きたいと思っています。付け加えます

が、国が避難指示を出す可能性は極めて低いということを頭に入れてください。

そのことに対して怯えていたのでは、なにも出来ません。だから、あくまでも

相馬を復興させる、中期的には避難されている方々に一つ一つかまどを持って

もらう、あるいはその他の市民の皆さんの生活をしっかり支えていく、事故に

遭われた方、不幸にも亡くなられた方々に対しては最大の敬意を払って対処し

ていく、これらを他団体の力を借りながらしっかりとやっていくということで

す。


これらのプロセスにおいて、指揮命令権は災害対策本部にあります。災害対策

本部で決定した一つの方向性に向かって、意思を統一して頑張ってください。

12日経って色々な方々が手伝いやボランティアで入っていますが、どんな立派

な学者でも、どんな立派なボランティアでも、あるいはどんな立派な政治家の

先生でも、災害対策本部の指揮命令のもとに協力をしていただきます。勝手に

活動される方は、私は迷惑だと思っております。
したがいまして、全て災害対

策本部の指揮に従ってもらうというのが原則です。皆さんも私も災害対策本部

のメンバーですから、みなさんと力を合わせながら、ここのところは歯を食い

しばって頑張っていきたいと思います。


また、風評被害によって物流に支障を来しております。ガソリン等の燃料につ

いては今日まで必死の努力の中でなんとか維持をしてまいりました。これから

もこの努力は続けますが、しかしながら物流は間違いなく良くなって来ます。

ただ、現段階ではスーパーも空いてない。今日からコンビニが1店再開します

ので、市民の気持ちも若干明るくなるとは思いますが、大概のお店は物流が再

開して営業が再開するという段階には相当程遠いのではないかと思っておりま

す。


しかしながら、物流が滞るとしたら、私はみんなでろう城すればいいのではな

いかと思っています。電気も通っているし水も通っている、米も援助物資とし

てたくさん入ってきていますから、最悪の場合市民と一緒にごはんと梅干しく

らいで何カ月もろう城する必要があるかもしれません。こういう非常事態です

から、最低これだけあれば我々も市民も生きていけるのだと、その安心からス

タートするという発想が必要なのではないかと思っております。


今日は区長会を開催することになっております。区長会の皆さんを通して物資

を配給するシステムを作りながら、ろう城だってできるのだという腹を固める

ことだと思っています。色々な救援物資が入って来ますから、これは積極的に

市民の皆さまに配給して少しでも不自由のない生活、不自由がないことが当た

り前だと思わないで、不自由を当たり前だと思って、そこから便利な部分は得

をしたというように発想を変えることだと思っております。


このような状況の中で、一つ一つ市民生活を良くしていくこと、最低これだけ

のことはみんなでやっていこうと、これが大事だと思っております。不安に駆

られて自主的に避難した方がたくさんいらっしゃいます。これからもそういう

方がいるとは思います。これは自己判断ですから、私の方から申し上げること

はありません。しかしながら、仮に他県の避難所に入ったところで何日もそこ

で暮らせることはなかろうと思います。この相馬で落ち着いていることが、多

分、市民のみなさんにとっても一番いいことなのだろうと思います。ただ、そ

れを市民全員に説得することはなかなか困難なことですし、また説得する必要

もないのだろうと思います。それぞれの市民の皆さんがどのように行動するか

については、それぞれが判断なされることですけれども、少なくても我々は相

馬にいる限り飢え死にすることもないし、寂しい思いをすることもないし、う

んと寒い思いをすることもないし、水が飲めないこともない、そのような最低

限の市民生活の保障だけはしていかなければならないものと思っております。


以上の考え方のもとに一歩一歩、今回の津波災害の悲惨な状態からみんなで立

ち直っていくのだということを信念として頑張ってまいりたいと思っておりま

す。


市職員のみなさんにお願いいたしますが、私はそういう方向性で突き進んで行

きますから、どうぞみんな一致団結してこの相馬市の復興のために力を貸して

いただきたいと思います。そして市民の皆さんにもそのように呼びかけていた

だきたいと思います。以上です。


※本内容は、重複した言葉遣いや表現などを整理した上で作成しています。

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■発行:福島県相馬市 企画政策部秘書課
 TEL 0244-37-2115

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Posted by 飯豊利助 at 10:00Comments(0)飯豊の現況